地域金融機関経営、いよいよ限界か?他

2020年06月09日

1.地域金融機関経営、いよいよ限界か?

とんでもないニュース。地域金融機関がいよいよ限界に近づいてきたとの証拠。

私が金融マン時代ならば一面トップで大々的に報道されたニュースだろう。そして野党は「税金を『経営陣の責任を問わず』『再建化計画なしに』公的資金を投入するなどもってのほか」と論陣を張っただろう。もうコロナ禍という名目で何でも許される、後のことは何も考えなくていい時代になった。制限時速50㎞の道路は60㎞を超えると白バイに捕まった。ところが100㎞でぶっ飛ばしてもおとがめないよ、という感じだ。事故多発だと思う。

1997年北海道拓殖銀行が破綻した当時にも大部分の金融機関に公的資金が投入された。「今後、収益が改善しないと頭取の首を飛ばす」との条件付きの公的資金導入だ。その一方、政府はマクロ政策として、長期金利を押し提げており、今と同じように、長短金利差がなくなり金融機関の収益機会が減っていた。「貸出先が無いから薄利でも多少なりとも長短金利差が取れる国債を買おう。しかしそれでは十分儲けが出ず、頭取の首が飛んでしまう」と金融機関は困った。そこで国債の購入量を3倍にして薄利を量で賄った。そしてその結果、莫大な量の赤字国債を金融機関に買わせ、財政赤字を賄い、長期金利を低いままに抑え込んだ。しかし、異次元緩和の結果、長短金利差がさらに無くなっている。地銀は保有国債を日銀に売りつけ、今は保有額は最大時の半分以下だ。公的資金を投入したところで地銀崩壊の先延ばしに過ぎない。国の財政も地銀の存在もすべて危機の先送りで、もうやっていることが破れかぶれとしか思えない。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60107440Y0A600C2MM8000/

 2.証券トレーダー、巨大フロアー去る。

そう言えば私もJPモルガン時代、トレーディングイルームにいつも、いるわけではなかった。半年間のNY本店研修から帰ってきた経理部の若者が帰朝挨拶に私の部屋にやってきた「支店長が、お昼の時間帯、毎日3時間、会社の上階にあるプールで泳いでいるのNYで有名でしたよ」「あ、そう。誰に聞いたの?」「マイケル・コーリーです」「ゲっ、やばい。直属のボスだ!」唯、私は「会社に時間を売って給料をもらっているのではない。利益を上げることで給料をもらっている」とうそぶいていたし会社も全く文句を言わなかった。

バブルの時だったか資金為替部長会議が東京であった。世界中の資金為替部長を当時世界最大規模と言われた三洋証券のディーリングルームを案内した。

JPモルガンのディーリングルームも巨大だが、それでも三洋証券のディーリングルームに皆驚いた。その三洋証券は1997年破綻した。私は「日本経済がいかに混とんとしているか」を世界に発信したのだがなかなかその悲惨さがわかってもらえなかった。そこで新聞に残っていた無人で紙屑が散乱している廃墟のような三洋証券ディーリングルームの写真を送った。東京に来た資金為替部長たちは、一様に「日本経済の悲惨さ」に納得した。ちなみに消費税上げで「1997年は消費税上げで日本経済が低迷した」と消費税上げ反対理由に良く使われたが、三洋証券がつぶれるほどの当時の日本経済低迷はロシア危機やアジア通貨危機のせいであり、消費税上げのせいでは全くない。最前線で相場を張っていた私の記憶である、(↓当時のJPモルガンNYのディーリングルーム。いかにも古い)NYデーリングルーム

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60124310Y0A600C2EE9000/