「クレージーなことが起きる」「ドカーンが真近に迫っているか?」他

2021年03月29日

タケシ出発

(↑ 米国留学へ出発の日、箱崎で会社の同僚・上司、友人に胴上げをされた、28歳の私。1978年 時代は変わった)

 

1.「ドカーンが真近に迫っているか?」

2021年度予算が金曜日に成立した.今年も57.4兆円の税収(そのほかに5.5兆円の税外収入)予想なのに106・6兆円もの支出。日経新聞によると「IMFによると、21年の一般政府債務残高は日本が国内総生産(GDP)比で258.7%に上る。米国の132.5%、ドイツの69.9%などと比べて突出している。財政に余力がない日本はより効果的な歳出が求められる」そうだ。日本は財政に余裕がないのではない。既に破綻している。破綻を異次元緩和という禁じ手中の禁じ手の「財政ファイナンス」手法で先送りをしているだけ。ドカーンが真近に迫っているのに政治家は無関心。それどころか、さらなる財政出動を唱える議員もたくさんいるという。亡国の士。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO70412110X20C21A3EA4000/ 

2.「クレージーなことが起きる」

一昨日の日経新聞朝刊。「米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は25日、量的緩和縮小の可能性を示唆」「連邦政府の借金拡大で『クレージーなことが起きる』(米政治情報メディアのポリティコ)と危ぶむ声がある」最大のクレージ―なことは日銀の倒産。円の紙くず化だと私は思う。

さらに日経新聞いわく「米長期金利上昇の理由について、景気回復による期待インフレ率の上昇という解説が多いが、実態は財政肥大化に伴う国債の需給悪化を懸念した『タームプレミアム(期間に伴う上乗せ金利)』の影響も見逃せない。タームプレミアムとは満期までの期間が長い債券ほど、価格変動リスクが高いため、その分、上乗せされる金利をいう」そのとおり。長期金利は今後さらに相当な上昇を示すと思う。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO70405850W1A320C2EN1000/

3,「米長期金利上昇は懸念材料ではない」

ブルムバーグによると「パウエルFRB 議長 は24日の上院銀行委員会で米10年債利回りの上昇に関する質問には、ワクチン接種が加速し経済見通しが明るさを増している状況を反映しているとして、懸念要因ではないとの見解を示した」そうだ。議長は長期金利は中央銀行ではコントロール出来ないことがわかっているのだろう。出来ないことには触れない。なお米長期金利上昇は米国にとっては懸念材料ではなくとも日本にとっては一大事。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-03-24/QQHAR4DWX2PS01?srnd=cojp-v2

 4.「日銀が株をみんな買っちゃえば社会主義国家の完成:株はババッチイ」

日本維新の会の浅田政調会長の予算委員会での質問に対し、黒田日銀総裁は当面売却の意図はなく買い続けると答弁された。「そうなれば、ますます日銀は日本最大の株主になえる」とSNSに書いたら、知識人の知人Uさんからコメントをいただいた。「みんな買っちゃえば?社会主義国家の完成」、また日銀以外の中央銀行は金融政策で株など買っていない。なぜか?」には「ババッチイからです」とのリツイート。たしかに中央銀行にとって、株は「ババッチイ」ものの最たるもののはずだ。リスクマネーの供給源として産業の新陳代謝のために株は必要不可決だが、中央銀行だけは絶対に手を出してはいけない。潮田さんのこの2つの指摘は大変に的を得たものだと思う。

5・「久しぶりの弟 故藤巻幸夫」

昨日の日経新聞「強い伊勢丹、再構築の春」で、久しぶりで弟の故・幸夫の名前を発見した。朝はこの記事を読まず気がつかなかったのだが、夕方、内藤さんかメールで知らせてくれた。急いで、新聞捨てから取り出し読んだ。内藤さん、日経編集委員の田中陽さん、ありがとうございました。それにしても早すぎる死だった。

「後にカリスマバイヤーと呼ばれ伊勢丹からバーニーズジャパンへ出向した藤巻幸大氏は生前、「バーニーズからのノウハウがなければ伊勢丹メンズ館は成り立たなかった」と語り、その存在感の大きさを振り返ったことがあった」

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO70417400X20C21A3EA5000/

 6.「照ノ富士優勝」

先日、照ノ富士が優勝。強い。彼がまだ大関の時、東京駅で新幹線に乗ったらグリーン車の最後部座席で、照ノ富士が、一人でニコニコしながら、スマホでゲームに興じていた。あの屈託のないニコニコ顔を見てから私は照ノ富士のファンだ。おめでとう!! 

7.「次男夫婦を成田空港で見送り」

一昨日の土曜日は、次男夫婦が渡米するので成田空港に見送り。そのあとはFlight radar 24で見送り。

1982年の4月1日に私はロンドン支店に転勤した。会社が用意してくれたハイヤ―の車窓から千鳥ヶ淵の桜をみて「しばらくはこの美しい桜を見られない」と外国転勤が嫌でしょうがなかった私は涙したものだ。でもこの美しい桜があまりに印象的だったので、次男にも見せたいと思い、千鳥ヶ淵沿いの高速経由で成田に向かった。往復の道は花見客のせいだろう、非常に混んでいたが、成田空港は、「しゃべってはいけない図書館」のようにシンとしていた。

思えば私が米国に留学した1978年に成田空港は開港した。出発の日。箱崎バスターミナルで会社の先輩・同僚や友人から胴上げを受けた(当時は外国転勤や留学の際に成田空港内には立ち入り禁止だったからだ。当時、婚約中の私は、いつもの悪知恵(?)を働かせ、綾子に札幌行の航空券を買わせて、成田空港で涙の別れをした(家内はその後、札幌行航空券をキャンセル)。親も子供も閑散の成田空港から米国を目指す。

(↓昨日の成田空港国際線ターミナル)

 弘出発10

(↓flightradar24  赤い機影が次男夫婦の乗ったJAL8便)

弘出発9