「法定通貨の価値低下=インフレ懸念、ドル高」「中央銀行同士の取引でも相手の倒産リスクを考える」「残念ながらもうハイパーインフレという借金踏み倒し策しかないだろう」他

2021年12月26日

1.「法定通貨の価値低下=インフレ懸念、ドル高」

本日の日経新聞1面記事。「各国中銀のドルに対する疑心暗鬼は拭えず、ドルから金への流れが続いている」という内容だが、これを読んで「ドル安進行」と考えたら大間違い。これは、世界中で中央銀行が紙幣を刷りすぎたことにより、世界中の法定通貨全体の価値が下落している、すなわち世界的なインフレを予想しているということ。ドルの信認低下ではなく、世界中の法定通貨の信認低下という話だ。為替は相対的な話。法定通貨同士の中で、どちらの通貨が、より弱くなるか?という話。円とドルでは、中央銀行の財務が圧倒的に弱い円が大幅に安くなるだろう。来年のドル/円はとんでもない大幅高を予想する。ひょっとすると円は紙くず(=ハイパーインフレ)になるかもしれないし。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB157IQ0V11C21A2000000/

 

2.「中央銀行同士の取引でも相手の倒産リスクを考える」

「ハンガリー中銀が外貨準備をドルから金に換えている」の日経新聞記事で、ハンガリー中銀が「金には信用リスクやカウンターパーティーリスク(取引相手の破綻リスク)がない」と述べていることが書かれている。これは重要。要は金購入ではFRB の倒産を心配する必要が無い、ということだ。中央銀行同士でも、相手の倒産確率を測った上で取引枠を決める。それが世界の常識なのだ。私が邦銀からJPモルガンに転職した時、驚いたのは、邦銀ではG7の政府、中央銀行相手の取引は青天井だったのに対し、米銀では取引額の上限があったことだ。G7の国であろうと、中央銀行であろうと倒産するという前提で取引枠を決めるのだ(政府への取引枠とはその国の国債の保有限度、中央銀行への取引枠とは日銀当座預金残高の上限)。もし日銀が債務超過になれば、外資は日銀当座預金を閉鎖するだろう((新しい健全財務の新中央銀行が出来れば再開)、そうなると、外資は日本国債や株の取引から撤退せざるを得ないし、より大きなダメージは日本が新たにドルを買う手段を失うことだ。銀行同士のすべての決済は日銀当座預金を通して行われるからだ。日銀当座預金が無くなれば、それが出来なくなる。

 

3.「一人の政治家が国を亡ぼす」

邦銀ロンドン支店勤務時代、サッチャー首相の新自由主義による超大胆な経済立て直し策を目の当たりにした。老大国と揶揄されていた英国経済が毎日、毎日、グングンと好転していく。一人の政治家の力で経済がこんなにもよくなるのかと目を見張ったものだ。それに対し、現在のトルコの惨状を見ていると、一人の経済・金融に無知なリーダーが、ブードゥ経済学・金融論を実践することで国を滅ぼすのを見ている気分だ。MMT 理論に対し麻生大臣が「日本をMMT の実験場にする気はない」と繰り返し述べられているのは見識だ。ただ問題は、日本がすでにバリバリのMMT実験の場になっており、そのツケをごく近い将来払わざるを得ないことだ。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR24E970U1A221C2000000/

 

4.「残念ながらもうハイパーインフレという借金踏み倒し策しかないだろう」

本日、日経新聞5面の記事「市場の警戒感は薄く」中のグラフ。もう文章はいらない。この表だけを1面の全面を使ってドンと出すだけでよい、常識ある人には、危機感が十分に伝わる。ちなみに対GDP比の債務比率とは借金を税金で返せる難易度ランキング。日本はもはや不可能、ハイパーインフレという借金踏み倒し策しかないだろう。国民は悲惨だが」政府には究極の財政再建策。「異次元緩和=財政ファイナンス:」を行った黒田総裁、まさか、「私は意図的にそれを狙っていました」などとは言いださないでしょうね。怒るよ。

債務比率

 

5.「107兆円予算案」

107兆5964億円となる2022年度予算の政府案が決まった。

一方、歳入は税収は65.2兆円。税外収入5.4兆円の計70.6兆円。

借金総額は9月末で1215兆円。毎年10兆円ずつ返して121年かかる。

税収+税外収入は70.6兆円なのだから歳出を60.6兆円に抑えて10兆円が浮く。その10兆円を今後121年間返し続けて121年もかかるのに今年も107.6兆円もの歳出だ。返せっこない。今、ゼロ金利だからいいようなもの金利を上げると、どれだけ金利支払いが増えるか考えてみたらよい。

私が借金踏み倒ししかないだろうという理由。国にとっては究極の財政再建だが、国民は地獄。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78786120V21C21A2MM8000/

 

6.「留学中に経験したホワイトクリスマス」

一昨日はクリスマスイブ。我が人生で一番印象に残っているクリスマスは1978年、オハイオの片田舎の牧師さん宅で過ごしたものだ。ビジネススクール留学の1年目、NPOが斡旋してくれたホームステイ先の牧師さん宅に泊まりに行った。教会で「日本から来た友人」と紹介してくださり、礼拝に来ている住民達がその後、町で会っても、暖かな言葉をかけてくれた。牧師さん宅には天井に届くほどの大きな本物のモミの木が暖炉の前に飾られ、その根元には沢山のクリスマスプレゼントが置かれていた。牧師さんの子供や孫たちが沢山集まり、牧師さんの合図とともに一斉にプレゼントを開き、きゃきゃと飛び上がって喜んでいた。その後、近所の子供たちが集まり、何台もの車に分乗し、一人住まいのお年寄り宅を何件も訪問し、玄関先で皆でクリスマスキャロルを歌った。シンシンと降る雪の中で子供たちが歌う際に吐く白い息が印象的だった。当時の日本は、まだクリスマスイブとはどんちゃん騒ぎの日という位置づけだっただけに、彼我の差を感じたものだ。TV ドラマ「うちのパパは世界一」「名犬ラッシー」でみた古き良きアメリカを垣間見た。すばらしい経験だったが、すでにセピア色の思い出。