1.「本日は期末。地銀の外貨建て資産の評価損は巨額化か?」
昨日、米国に追っていた時に留め置きをしていた日経新聞を読んでふと目に留まったのが8月16日の「地銀の海外運用含み損1兆円超」という記事。当時の日経新聞いわく「含み損が1兆円を突破。3月末から6倍に急増した。日本国内の債券含み損も5千億円を超えた。株式の含み益で穴埋めできず、福岡や横浜、山口など有力地銀が有価証券運用全体で含み損に転落した。含み損を抱えた地銀は4割強の44行に上り、体力の乏しい地銀は苦境に陥りかねない」かなり前から、私は、米長期債から、早く逃げろと、売却を何度もお勧めしたつもりだが、耳を傾けた地銀を寡聞にして聞かない。3月末の長期金利は2,345% ,6月末は3.10%割れ。現在は3.78% だから含み損は更に膨れ上がっているはずだ。6月末に「苦境に陥りかねない」と日銀に書かれた地銀は、もう苦境かもしれない。耐えきれなくなった地銀他の日系機関投資家がドル債を投げればさらに米長期金利は上昇、ドル高円安が進む。自分が破綻し株主に迷惑をかけないためには他人より先に逃げしるしかない。なお、邦銀は円をドルに換えているわけではなく「ドル調達・ドル運用」だから売却による為替への影響は無い、日米金利差拡大によるドル高円安の進行が起きる。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO63454090V10C22A8EE9000/
2.日本の債券保有を注視(元米財務長官/元ハーバード大学学長・サマーズ氏)
本日のブルムバーグニュースいわく「(元米財務長官/元ハーバード大学学長の)サマーズ氏は、特に注視すべきは現在の日本の政策に内在する緊張だと指摘。日本は先週に円買い介入を行って市場から資金を吸い上げた一方、日本銀行による金融緩和政策を通じて流動性を供給している。こうした動きをサマーズ氏は『異例の事態だ』と表現。『それが今後どう展開するか興味深い』と述べ、日本の投資家が世界中の債券を『大量に保有』している点に留意が必要だとの見方を示した。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-09-29/RIZ7S5DWLU6B01?srnd=cojp-v2
3.「世界の超低金利・財政ファイナンスを輸出した元凶は日銀」
サマーズ元米財務長官が言うように「日本の投資家が世界中の債券を『大量に保有』しておいる。もし、これが世界経済崩壊の導火線になるとしたら、その責任は日銀にある。
平時に、異次元緩和で日銀が資金をばらまき続けた結果、少しでも金利の高い世界の債券市場に日系投資家の資金が流れた。円を外貨に換えての投資ならまだよかったし、日銀が日本国債を爆買いして国内金利上昇を抑えていなければ、まだ世界は救われた(=早めに円安ドル高が進行し長期金利上昇の流れは止まったはずだ)。その結果、世界中の多くの国の金利が低下した。マイナス金利も出現し、多くの国でコロナ対策が財源を気にせずに(=支払金利を気にせずに)財政ファイナンスで行われた。私が金融マンだった1900年代後半は、何度か世界の流動性過多は日本のせいと非難された。これを異次元の大規模さで行われたのがこの10年の日技二次元緩和だ。世界の超低金利・財政ファイナンスを輸出した日銀、そしてオーソドックスな金融論からかけ離れたトンデモ論を喧伝した財政出動論者、MMT 論者、「統合政府で考えれば大丈夫」論者は「国賊」どころか世界経済をぶち壊す「世界賊」になるかもしれない。いつの世でも、効果も副作用が無いことも検証されたオードドックな金融論にもとづいた経済金融政策は極めて重要なことなのだ。
4,「うれしかった衛視さんからの挨拶」
1昨日、昨日と、久しぶりに参議院会館に出かけた。昨日は3年半前に落選してから3度目だった。日本維新の会の柴田巧参議院議員が顧問を務める「未来塾」の会合で講師を務めさせていただいたのだ。女性の生き方を探る会合だから女性の参加者が非常に多いのは当たり前だが、私の講演としては、異例だった。会合後の写真撮影会では、多くの女性から暖かいお声をかけていただき、とてもうれしかったが、それ以上にうれしかったのは、参議院会館の衛視さん、守衛さんたちが私を覚えてくださっていて、「お~」とか「え~」とか「先生、お久しぶり」と非常に親しげに挨拶してくださったこと。ある方は「昨晩もいらっしゃっていたんですよね。先生かと思いましたが、遠くからで自信が無かったけど、後で、先生がいらしていたと聞いてあいさつ出来なくて残念、と思っていたんです。今日ご挨拶出来てとてもうれしいです」とおっしゃってくださった。
少なくとも政治家現役時代、衛視さん、守衛さんたちには嫌われていなかったな~(笑顔)。
5、「ショックだったこと」
昨晩は参議院会館の衛視さん、守衛さんに歓待を受けてうれしかったが、逆に大きなショックだったのは。JP モルガンを辞めて5~6年後に、アジア地区ヘッド(東京在住)のスティーブ(私が採用した男)に電話をかけた時のこと。。「フジマキですが、ステーブいますか?」と言ったら「どちらのフジマキさんですか?」と交換手の女性に聞かれたこと。青島幸夫氏ではないが、「フ、ジ、マ、キ、だ~」と言いたかった(ショック)。勤務していた当時なら、世界のJP モルガンの中で(少なくてもアジア地区なら)私の名を知らない人はいなかったと思うのだが。光陰矢の如し、栄枯盛衰。