「週刊エコノミ.ストに載ったコメントと拙稿」「資本主義は終焉を迎えたか?NO」

2022年10月03日

1「週刊エコノミ.ストに載ったコメントと拙稿」

今週発売の週刊エコノミストは「止まらない円安」特集だが、第2部の「金融危機に学ぶ」(1997年の金融危機から何を学ぶべきか)に拙稿を載せていただいた。また第1部「市場の攻防」の冒頭記事中には数多くのコメントを載せていただいた。

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2,「介入に関してのコメント(週刊エコノミスト)」

介入に関して、週刊エコノミストに載せていただいたコメントは以下の通り。

「元モルガン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)在日代表兼東京支店長の藤巻健史氏は、政府が9月22日に実施した円買い介入に強い危機感を示す。実力に見合わない通貨高誘導は、市場の餌食となりかねないからだ。円安→インフレ→金利上昇のループにはまれば、ただでさえ脆弱(ぜいじゃく)な日本の財政と、事実上財政ファイナンス(財政資金の穴埋め)に組み込まれた日銀は、ひとたまりもない」 」藤巻氏は『今回の介入はポンド危機をほうふつとさせる』と言う。理由は、日米の金利差拡大と貿易赤字というファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)に基づく円安にもかかわらず、政府が人為的に止めようとする構図は、当時の英国と同じだからだ。物価高を抑制したい政府と、異次元緩和で円安誘導する日銀という矛盾した姿勢は投機筋の思うつぼ。『第二のソロスが現れる』(藤巻氏)」「介入資金として、外貨準備を使ったことに前出の藤巻氏は『外貨準備金は国民の命を守る最終手段。つまり、本当に日本が危機に陥り、原油や食糧を海外から民間が買えなくなった時のための貴重な資金だ。目先の無駄な円安対策に使うとは無責任極まりない』と憤りを隠さない」

economist.mainichi.jp/articles/20221011/se1/00m/020/046000c

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3「1997年の金融危機から何を学ぶべきか」

以下は、今週発売の週刊エコノミストに載った拙稿の一部。

「約2600億円の損失を海外に「飛ばし」て、破綻を先延ばしした山一証券と同じ行為で、危機の先送りだ。97年の金融危機は、一企業の飛ばしにすぎなかったが、今回は国家レベルだ。ツケは段違いに大きい。山一は結局、その損失を隠し通せず破綻したが、日銀も廃せざるを得なくなるだろう。当然、発行する円も紙くず化してしまう(本誌22年4月26日号参照)」。「財政ファイナンスは世界中で禁止されていた。1972年に金本位制が崩れ管理制度に移行してからは、中央銀行はお金の刷り過ぎへの注意が必要となった。政府が歳出を増大させれば、その原資は『増税』か『紙幣の増刷』のいずれかしかないが、政治家は国民に不人気な増税よりも『紙幣の増刷』の方を当然ながら好む。『紙幣の増刷』は、『中央銀行の政府の子会社化』又は『統合政府化』で容易に達成できる。発行した国債を中央銀行に引き受けさせ、新しく刷った紙幣(厳密には中央銀行当座預金の増)で歳出を賄うのだ。 しかしそれは紙幣の価値を希薄化させ、最終的にハイパーインフレを引き起こす。その経験から先人たちは防止策として『中央銀行の政府からの独立』や『財政ファイナンスの禁止』との鉄則を作った。それらをことごとく破ったのが、アベノミクスであり異次元緩和である。この先送りの結果、破裂時のエネルギーはとてつもなく巨大になった。日銀を廃せざるを得なくなるということだ」「紙面の関係で詳しく書けないが、デフレ脱却には伝統的金融政策(景気が悪ければ金利を下げる)に固着すべきだった。ただ、その政策だと財政破綻の先送りは出来い。そのせいか私の主張には誰も耳を傾けてくれなかったが、最近ではハーバード大学のロゴフ教授が同様の主張を展開していると聞く。つまるところ、財政赤字を放置したこと、そして日本得意の飛ばしを行ったことが、日銀の廃止と円の紙くず化いう異次元の金融危機を生むことになると思うのだ」

3ページ渡って書いています。詳しくは週刊エコノミストをお読みください。

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20221011/se1/00m/020/023000c

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4.「資本主義は終焉を迎えたか?NO」

週刊エコノミストの拙稿の次に水野和夫さんの論考が載っていたが、タイトルを見て、強い抵抗感を感じた、タイトルは「資本主義は終焉を迎えた」で日本経済の低迷で「資本主義は終焉を迎えた」と結論づけている。違う!私の部下の欧米人が帰国するときほとんどが「日本は世界最大の社会主義国家だ」と言っていたことを感度も書いてきた。「日本経済は社会主義だから終わった」のであり、「資本主義を導入すれば力強く回復する」。X デイ期間中に「真の資本主義国家」に生まれ変わる青写真を書かねばならない。それを逃せば、日本の未来は無い、

 

5.「山本謙三さんブログ」

先日、日銀(近じか残務整理機関になると私は思っている)の次期総裁には、雨宮副総裁か中曾元副総裁が良く、新しく創生される(と私が思っている)新中央銀行の初代総裁には、現在、野に下っているが、オーソドックスな金融論に精通した山本謙三元日銀理事のような優秀な日銀OBがいいと書いた(白川元総裁の復活でもよい)その山本謙三さんが本日、ブログを更新した。ちなみに付録の月刊住職」もめちゃ、面白かった。

https://www.kyinitiative.jp/

6.「賃金上昇率を日銀の政策目標としていいか?」

以下、本日更新の山本謙三さんコラムの一部抜粋。「賃金上昇率を日銀の政策目標としていいか?」に関しての論考。「しかし、これは奇妙だ、たしかに、賃金の上昇率と物価の上昇率は統計上近い関係にある。だが、賃金は基本的に企業の従業員一人当たり付加価値額(=労働生産性)によって決まるものだ。金融政策で直接的にはコントロールできない。賃金と物価が1対1の対応関係にあるわけでもない。

分かりやすい例で考えてみよう。賃金上昇率が-1%、物価上昇率が5%のとき、金融緩和を継続すべきか。答えはno.である。物価が高い。逆に、賃金上昇率が5%、物価上昇率が-1%のとき、金融緩和を継続すべきか。答えはyesである。物価が低い。賃金はどうあれ、中央銀行にとっての目標はやはり物価である。

賃金は、もちろん重要だ。ただし、賃金の上昇を促す政策は、市場競争の活性化が基本となる。役割を担うのは金融政策でなく、労働市場の流動性向上や競争阻害的な規制の撤廃などの構造政策である。もし賃金を金融政策の目標に据えるのであれば、政策の理論とフレームワークを抜本的に見直さなければならない。

では、なぜ日銀はここへきて賃金重視の説明を持ち出すのか。

賃金重視は、耳に心地よく響く。値上げ許容度発言の本当の論点は「苦渋の選択で値上げを受けているのであれ何であれ、物価2%が適切な目標なのか」であるはずだった。日銀の意図はともかく、賃金重視の説明は、本当の論点から人々の目を逸らせる効果をもった。

問われているのは、異次元緩和の3本柱の中で唯一残った「物価目標2%に厳格にこだわること」が適切かどうかだ」。以上、山本さん論考の一部。ちなみに、私は「金利を上がる手段がない(上げれば日銀が債務超過)」から、こういい続けざるを得ないと確信しているが、矢万人さんは御立場上、さすがにそこまではおっしゃれないのだろう、と思っている。