1.「YCCを放棄したら、日本の国債はジャンク債では?}
YCC の放棄が最近よく話題になっているが、YCCを放棄したら日本の国債はジャンク債落ちではないのか?日本国債がジャンクぎりぎりまで落ちてから、ずいぶん時間がった。その間に日本の財政事情は、さらに格段と悪くなった。それにもかかわらず、日本国債はジャンク債レベルまでいまのところ下落しなくて済んでいる。いつだったか忘れたが、格付け会社の幹部が「日本の格付けが財政事情がイタリアよりもまだましnのは、日銀がYCCで国債爆買いをしているから」と答えていたと記憶する。日銀がYCCを継続している限り確かに国は財政破綻はしない。だから格付けが落ちないのはそりゃそうだろう。しかし、YCCをやめれば倒産確率はストンと上がるはずだ。格付けがイタリアよりも上にある理由はなくなる。国債の格付けがジャンクに下がれば金融機関はもちろん、企業の債務の大部分もジャンク扱いになる。倒産続出で日本経済大混乱だと思うが、それでもYCC放棄が出来るのか?もちろん、一番危険になるのは日銀と円だが。
2.「『出口があるかないか』の議論ではなく『いつ破綻するのか』の議論の時期」
昨日、黒田日銀総裁の総裁任期が切れた。国会議員時代、私が「黒田日銀総裁には出口があるが、日銀には出口がない」と追及してきたとおりに、黒田総裁は逃げ切ったが、日銀はいよいよやばくなった。ここまでくるともはや「出口があるか、ないか」の議論ではなく「いつ破綻するのか」の議論の時期となった。
3.「日本銀行 『我が国に迫る危機』」
黒田総裁の退任に合わせて批判的な記事やテレビ報道が急速に出始めた。昨日の日経に宣伝の出ていた元日銀ウーマン・河村小百合さんのこの本を読んでまだ円に楽観的な人などいるのだろうか?彼女と私の主張はほぼ同じなのだが、彼女の本の方が、より学究的・論理的だ。
4「この機に円高を説く人とは?」
この機に至って日銀の財務内容を無視して円高を説く人は、よほどに短視眼的な人か、超楽観的な人か、見たくもない現実は見ないことにしている人か、全く事態を理解していない人、だと私は思う。
5.「黒田総裁記者会見 最後も『全く考えておりません』」
朝日新聞原編集委員いわく「黒田会見は『大事なことを話さず、やりすごすための会見』だった。(略)この10年の間には、私以外にも批判的な質問をする記者は何人もいた。その記者たちも黒田総裁から指名されないことが続いて、やがて会見に姿を見せなくなった。『総裁から嫌われている』ということは、所属組織によっては、記者にとってリスクになりうる」まさに日銀報道の問題点であり、日銀の問題点でもある。世間が「これほどの国家的危機に能天気な原因でもある。原記者と同じ感想を私も国会議員時代に何度も持った。私の今になってやっと問題になっている論点を全部、追及してきたつもりだ。しかしマスコミは、黒田総裁の答弁しか書かない。(嘘八百の)「大丈夫です」とか「次期早尚」ですしか書かなかったのだ。これでは国民が問題点を意識できずに能天気になるのは当たり前。そして知らないうちに地獄を見ることになる。
https://www.asahi.com/articles/ASR47778GR47ULZU005.html?iref=pc_ss_date_article
6「矢野前財務次官の講演会」
先週木曜日は、一橋大学の同窓生会館である除水会館で矢野前財務次官(一橋大学OB)の講演をお聞きした。主催者側で隣の席を用意してくださったので、講演前後に歓談出来た。日本の理性、いまだ健在と思った。それに対し矢野さんが職を賭してまで書かれたあの矢野論文を無視する世間、マスコミはなんなんだ?参議院財政金融委員会では矢野さんが官房長だったので国会でよく議論させていただいたものだ。
7「アルファ化米」
先日、知人の菊池さんから「ハイパーインフレ対策で10年間保存のアルファ化米」を扱っている農家さんがありますよ」と連絡を受けた。その農家さんがアルファ化米を送ってくださったのでハワイに持参した。充分においしい。ハイパーインフレ対策になるかは別にしても、非常時対策として購入・保存しておくのは保険としていいなと思った。災害時等でも加熱調理が不要で加水だけでご飯として食することができる簡易性がいい。(見本を送っていただいたのは事実ですが、広告代等、一切いただいていません。私の単なる個人的感想です)
8「三井信託千葉支店OB/OG会」
昨日は午後3時から6時半まで千葉駅前の飲み屋さんで三井信託千葉支店OB/OG会。新卒で私が入社した時の社屋のすぐそば。昔、大西先輩が隣りあっているビルを指さしながら「こちらがフジマキが落ちたところ。こちらがフジマキが受かったところ」と皆に説明していたが、落ちた方は駿台予備校(旧住友信託社屋)、受かった方は現三井住友信託社屋(昔の三井信託社屋:私が入社当時働いていたビル)。ちなみに私は、現役で一橋大を受け(東大紛争で東大の試験は中止)一次試験で落とされたので駿台予備校(お茶の水)を受けた。当時、全文、全総、特分の3コースに分かれていたが、東大に入るには前2つに入ることが必須と言われていたのにもかかわらず特文にしか入れなかった。その段階で私の浪人後の東大受験をあきらめ一橋学院予備校に行くことにした、なお大西先輩は私の結婚式の司会で「新郎は高校卒業後、世界に冠たる一橋学院(予備校)にご入学され」と紹介したが一橋学院は駿台と違い、無試験で入学できた。一橋学院の院長が入学式の時「皆さん、ご入学おめでとうございます」とあいさつした。私、こういうブラックユーモア好きなんだよな~。
9「私の履歴書」
昨日の日経新聞で YKK二代目吉田社長の「私の履歴書」を読んだテニス倶楽部の友人が「吉田さんの出たビジネススクールってフジマキさんの出たところじゃないの?」と聞いてきた。そう。上の写真が新聞に載っていた吉田さん、下の写真は私。もう大昔であることが写真のあせかたからわかる。
ちなみにKellogg(水戸納豆学校のように納豆作を教える学校ではありません)は全米1のビジネススクールになったことがある。したがって、米国ビジネススクールに詳しい若い人達から「すごいところに行きましたね」と言われることがあるが私が入学した当時は7位に過ぎなかった。
後輩たちの努力で、学校の評価が上がり、私は努力せずに儲かった気分。
ランキングをはじめ、上下するものを予見するのは私の天職か?(笑)