1.「金融政策の変更はしたい。でも出来ない」
もう忘れてしまったのだろうか?5月の政策決定会合の後の記者会見で、NHK記者の質問に対し、植田総裁は「(正常化を始めるのが)2年後、3年後、4年後ということになる可能性も残念だがありうる」とお答えになった。就任当時から、緩和解除をしたくても出来ないことを120%認識されていたのだ。だから先日の会合でも政策変更がなかったのは当然。やりたくても出来ない。日銀が債務超過で自死ししてしまうし、多くの金融機関の債務超過で取り付け騒ぎも起こる。支払い金利の上昇で政府が予算も組めなくなる。
2.「植田日銀審議委員(当時)いわく『地獄になるかも』」
2001年3月19日の日銀政策員会・金融決定会合で当時審議委員だった植田日銀総裁は、量的緩和をするには「普通の短期金融資産では恐らく無理になってくるであろうから、長期国債買いオペの増額と思う。それで期待インフレ率が上がって金利上がっていったり、景気が良くなっていくとなればよいが、ならないと
地獄になる」とおっしゃった。私の考え方と当時はそっくり同じ。
当時45兆円(2001年4月末)だった日銀の長期国債保有額は長期国債買いオペの増額で現在(2023年11月)で597兆円と10倍以上にふくれあがっている。植田総裁が危惧した通り、とんでもない長期国債買いオペの増額をしてしまったわけだ。
22年前、日銀審議委員だった植田氏が「地獄になってしまう」と危惧した状況が今、存在する。日銀が、今、金融政策を変更したくても変更できない理由。地獄の引き金を引いてしまうからだ。
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/record_2001/gjrk010319a.pdf
3.「フェーリエンドルフの馬車」
もう45年ほど前、ロンドン支店勤務時代、冬休みにオーストリアに行った。そこで印象的だったのが、小さな灯りがともる雪道を馬車に乗って走った経験。馬車のシャンシャンとなる鈴の音だけが真夜中の森の中に吸い込まれていく。おとぎの国にいるようでロマンテック。大人も子供をも魅了するはず。今回顧問に就任した株式会社「かぜ」が運営する森の中にあるリゾート「フェーリエンドルフ」に最適、と米田社長に提案したら、すぐ採用してくれた。とくにフェーリエンドルフは「ばんえい競馬場」から車で10分ほどの距離にあるので、彼等とコラボできる。ということで、先日、試運行を行った。本運行が始まったら是非、ロマンチックな経験をしに「フェーリエンドルフ」においでください。
以下の動画は、フェーリエンドルフの馬車、試運行の様子です。
https://vimeo.com/895509361/41227e1db7
5.「フェリー円$フ」
今回顧問に就任した(株)「かぜ」が運営するフェーリーエンドルフはドイツ語で「休暇村」のことらしいが、ドイツ語に全くなじみのない私は全く名前が覚えられなくて苦労している。外資にいながら、人の名前が覚えられない。特に外国人の名前が。これは外国人村ではかなりのハンディキャップだった。その点、政治の世界は楽だった。名前を覚えられなくても、相手を「先生」と呼んでいればことが住むからでだ(なぜ政治家を先生と呼ぶのか今でも理解できないが)。英語でさえそうなのでだからましてやドイツ語なら、なおさら。しかし本日、ハタと気がついた。私にぴったりの名前なのではないか?これで覚えることをつかんだぞ。「フェリー円$フ」
6,「テニス仲間忘年会」
先週の日曜日はテニス仲間の忘年会。我々のグループは昔、日本の重鎮だった方もそれなりにいらっしゃるが、そんな職歴はもちろんのこと、テニスの腕でハイエラキが決まることもないので楽しい(特に私)。そして「時代は変わる」を実感できる。なにせ東大紛争の時の東大医学部副委員長がいるのだ。
当時、東大入試が無くなり彼には「恨み骨髄」だった。そのお医者さんとテニス仲間になってテニスを楽しんでいるのだ。ちなみに、そのお医者様いわく「人に迷惑をかけることをしていけないと父親から厳しくしつけられた。だから遭難の可能性のある山登りを僕はしない」「へ~、東大紛争で受験生に莫大なるご迷惑をおかけしたのは、どこのどなたでしょうかね~」と返答する。その後、楽しくテニス。「人間、恨み骨髄になった人とは決して和解しない」と思いこまない方がいい。「日銀は絶対に無くならない」と思い込まない方がいい。新中央銀行設立の可能性がある。