(ここに述べる意見/分析は私が所属する政党の公式見解でも分析でもありません。私の個人的見解・分析であることをご理解ください)
1.「昨晩、1ドル155円を割ったドル/円」
「ドル円が朝1ドル155円を割っていた。深夜にスクリーンを見た時は、154.
60円近辺だった。昨日夕刻のブルムバーグニュースによると円高ドル安が進行したのはブルムバーグニュースのニュースのせいだそうだ。
ブルムバーグニュースいわく「ブルームバーグの報道を受けて、外国為替市場では円が対ドルで一時1ドル=155円ちょうどまで上昇し、5月16日以来の高値を付けた」
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-06-04/SEJJB3DWRGG000?srnd=cojp-v2-markets。
2.「国債買いオペ減額予想による円高」
ブルムバーグによるところの「ドル円の下落を招いたブルムバーグニュース」とは以下のニュースである。
「日本銀行の植田和男総裁は4日、1%台に上昇している長期金利について、市場で形成されることが基本になるとの見解を改めて示した。参院財政金融委員会で答弁した。」このことが6月の政策決定会合での「国債買いオペ額、縮小」―>「緩和政策の変更」―>「日米金利差縮小」との連想になったようだ。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-06-04/SEHP3WT0AFB400?srnd=cojp-v2-markets
3,「昨日の私の植田日銀総裁との質疑は、マスコミを通じると全く姿を変えた」
しかし昨日の参院財政金融委員会で植田総裁お呼びしたのは私一人であるから、このブルムバーグ記事は間違いなく、私と植田総裁との質疑の様子を記事にしたもの。
この私の植田さんへの質疑がどうしてこのような記事になってしまい、そしてトンデモ推測がマーケットで形成されていくのか?教科書の材料になりそうだ。
原資料の昨日の質疑のYouTubeを以下に示すので、ブルムバーグ記事と対比し、このブルムバーグ記事が正確に質疑の内容、雰囲気を伝えているかを判断していただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=b6t9Qqs22eA
委員会では笑いを誘った苦し紛れの総裁答弁の雰囲気をも伝えているのか? を含めて。
1983年に「日本の金融自由化」を協議するために設置が決まった「円/ドルコミティー」の米側責任者ダラーラ氏は退官後、JPモルガンに入社した。日本の専門家だから、私は彼と何度も食事をしたり、大蔵省への訪問に随行したりした。彼が私に言ったことは今でもはっきり覚えている。「タケシ、よく聞けよ。私の発言は、何度も為替市場を大きく動かしたが、私の真意がマーケットに正しく伝わったことは一度もなかった。たったの一度も、だぞ。ディーリングの際に参考にするといい」
まさにマスコミを通すと実際とは全く異なったニュアンスがマーケットに伝わり、マーケットを誤誘導する。
それが分かっているから私の仲間のヘッジファンドオーナーたち(特にグローバルマクロのオーナー達)は莫大な金とエネルギーを払ってでも(マスコミを経由したのではない)生データ、原データへのアクセスを試み、そして自分自身の頭で分析していた。現役時代の私も同じだった。
4.「この記事の結果、日銀は更に崖っぷちに追いやられるのか?」
この記事により、マーケットを見誤る人が出てくるだろうが、日銀も同じように、更に崖っぷちに追いやられるだろう。出来ない約束をすれば(本当は、約束したのではないのに報道で約束したかのようになってしまったのだが)、反故にした時の反動は大きい。
日銀が6月13日、14日の政策決定会合で確たる「国債買いオペの減額」を公表しなければ、マーケットががっかりし、円の大きな反動安につながるだろう。
一方、「国債買いオペの減額」をすれば、長期金利は上昇し(おそらく株価もそれなりに下がるだろう)日銀はますます「債務超過」に近づく。
今、マーケットが平穏なのは日銀が純資産状態にある」ためであることは充分理解した方がいい。
少しの長期金利上げと株価の下落で日銀は簡単に債務超過になる。どの程度下落すれば債務超過になるのかは昨日の質疑You tune を見ていただければ計算できるはずだ。
5.「クロアチア大使との昼食」
昨日は財政金融委員会を終えた後、13時から、京橋のクロアチアレストランで、クロアチア大使から昼食のご接待を受けた。大使との会食は1年半ぶり。奨学金でクロアチアにピアノ留学したピアニスト西井さんも同席。新潟での演奏会には大使の他、河野太郎デジタル行財政改革担当大臣ご夫妻もいらしたそうだ。河野太郎夫人が大使と友人だからだそうだ。河野太郎夫人は私のP モルガン時代の同僚。もっとも皇太子妃候補の一人として週刊誌で騒がれていたから、私はビビッて、なかなかお話など出来なかったが(笑)。なお、当時、週刊誌では皇太子妃候補として4,5人の名前が挙がっていたが、そのうちの2人(河野太郎夫人を含む)はJPモルガンに勤務していた。
6.「お会いした米大使のお歴々」
大使と言えば、JP モルガン時代には、米国大使によく呼ばれて大使公邸で食事をしたものだ。最初に大使公邸でお会いしたのはモンデール大使。過去の肩書のすごさ(元副大統領)と、体の大きさで圧倒された。(元副大統領が大使を務めるくらいだから日本もすごかった!と思う)立食パーティーで話しかけられた時、持っていた皿の上のコーヒーカップが(震えで)カタカタ鳴りはじめ、自分の小心ぶりに嫌悪感を覚えたのをよく覚えている。
優しかったのは数年前に亡くなったフォーリー大使。よく日本人は私一人の食事会に呼んでくださった。米国から銀行委員会の委員長&委員が来日した際の昼食会では、隣に座らせてくれて「私の友人」と皆に紹介してくださった。ただ突然、日本経済について「15分間のスピーチをしてください」と要請された時は英語が下手なのを知っているくせに、「そんな話、事前に聞いてないよ」と頭が真っ白になったこともよく覚えている。その時、ふと大使のワイシャツを見たら、袖口がほぐれていた。「ア、私と同じだ」と思い気楽になるとともに、一層身近に感じたものだ。