(本文) 付録「フジマキな日々」は下の方にあります。
1.(週刊朝日)「虎穴に入らずんばフジマキに聞け」
第276回「お札の刷新に私が不安を感じるわけ」
週刊朝日の連載は昨年11月末をもって終了いたしましたが、第276回では「お札の刷新に私が不安を感じるわけ」というタイトルで書いています。昨年の4月26日号ですので11ヶ月前の文章です。
「私は東京:四谷の雙葉の幼稚園出身だ。皇后も在学された雙葉は女子の名門だが、幼稚園だけ男子4人の入学が許される(当時)。女子はそのまま小学校へ進学し、男子だけが外に出される。男子4人にとって、女子26人に囲まれた時代だった。2クラスで男子は計8人で、私は伊藤君や岩倉君をいじめたことがあった。50歳の時の同窓会で初めて知ったのだが、岩倉君は岩倉具視の、伊藤君は伊藤博文のひ孫。先祖が紙幣の肖像になる方だったのだ。と言うわけで、「世が世なら大変なことになっていた~」とつくづく思ったものである。
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たしかに商店主らが毎日、銀行に出向いて小銭を預金したり、両替をしたりする努力は馬鹿にならない。私も年末に銀行窓口で長時間待たされ,へきえきした。日本銀行が現金取り扱いの事務にかけるコストや時間も膨大だ。だから、キャッシュレス化は非常に重要だとの内容を、いつかこのコラムで書こうと思っていた。その矢先、4月9日、突然、紙幣の刷新が発表された。2千円札はそのままに、1万円札、5千円札、千円札のデザインを一新するというのだ。 エ、エ、エ? キャッシュレス化を進めるのなら、1万円札、5千円札の発行を中止したほうがいいと、私はかねて主張していた。なぜ、いまこのタイミングで新紙幣の発行なのか。ハイパーインフレで円の信認性が暴落したときの準備を、政府が始めたのではないかと私は勘ぐってしまっう。 このコラムを読まれている方はご存じかと思うが、ここまで事態を放置してしまった以上、日銀や円の信用失墜は必至だと私は思っている。その対処法は「新券発行&預金封鎖」か「日銀廃止&新中央銀行創設」だろう。ただ新券発行といっても、1946年のときでも印刷が間に合わず当初は証紙を貼ってしのいだとされる。今の情報社会化社会では新紙幣を秘密裏に刷るのは不可能なので、どうするのだろうと思っていた。そこでこのニュースの出現だ。そうか、この手があったのか。前回の刷新する2年前の発表だったのに今回は5年も前。いつ危機が来ても十分な新券はそろう。麻生太郎財務相は、前回、発表から刷新まで時間が短かったことについて「あのときは、偽造紙幣がけっこう増えていたので急がなければならなかった」と説明しているがーー。紙幣刷新への不安を感じるのは私だけだろうか?勘ぐりすぎだと将来言えることを、切に願う」
2.(週刊朝日)「虎穴に入らずんばフジマキに聞け」第277回
第277回「平成の失敗を『令和』でくりかえすな」
週刊朝日の連載は昨年11月末をもって終了いたしましたが、第277回では「平成の失敗を『令和』でくりかえすな」というタイトルで書いています。昨年の5月3日―10日号ですので10ヶ月前の文章です。
「(前略)平成が始まった1989年の年末。日経平均株価の終値は3万8915円と史上最高値だった。新しい元号『令和』が発表された4月1日の終値は2万1509円。30年続いた平成はもうすぐ終わるが、株価は半分近くに低迷している。一方、NYダウは当時2753ドル、4月1日は2万6258ドルで約10倍だ。株価は『経済の体温計』だといわれるが、平成の間に日米の経済力は大きく差がついてしまったわけだ。日米の差だけではない。平成の間の日本の成長率は先進国中、ダントツでビリリだ。 2017年度の名目GDPは547.4兆円。20年前の97年度のGDPも533.4兆円でほとんど変わっていない。国民の間に景気が良くなった、豊かになったという実感がないのは当然なのだ。 財政赤字の極大も、経済の低迷で起きているともいえる。19年度の税収予想は約62兆円で史上最高。今までの最高はバブルの末期、90年度(決算ベース)の60.1兆円だった。問題は90年度の歳出は69.3兆円だったのに19年度の歳出は101兆円ということ。税収はほぼ同じなのに歳出は46%も伸びている。これでは国の借金である国債の残高が1千兆円を越えるのも無理は無い。名目GDPが増えないから税収が伸びない。しかし歳出はうなぎのぼり。その差を消費税増税でまかなおうとする。これでは国民が怒るのはあたりまえだ。名目GDPと税収はほぼ比例する。名目GDPが2倍になるということは、国民全体が2倍豊かになり、税収も2倍になるのが普通だ。名目GDPが増えないのに税収を無理に増やそうとして、国がお金をもっていってしまうから国民は怒るのだ。あるべき姿は名目GDPを2倍にし、国民の所得を増やす『所得倍増計画』だ。そうすれば歳出が2倍になっても、財政問題は生じることもなかった。この20年間でGDPを2倍にするのを他国は達成しており、日本も不可能ではなかった。 要は、何がこの低迷の原因か?を突き詰め、それを直せば国民も豊かになり、財政もここまで悪化しなかったのだ。それが政治家のもっとも重要な仕事だ。平成の失敗を『令和』で繰り返してはならない。私自身は、こう思っている。根本原因は、日本が計画経済国家で社会主義的運営がなされていたこと。そして、それ故にかもしれないが、円が国の実力に比べ、強すぎたせいなのだ。」
3.株価の大幅下落もトイレットペーパー現象と同じか?
Twitterに「株価の大下落もこのトイレットペーパー現象と同じでしょうか」という質問がありました。以下の回答をしました。脱線ですが、1990年代前半、利付金融債の利回りが(今では考えたれないでしょうが)8%を超えたことがありました。新聞は「金融債を買うために1時間待ち、3時間待ち」と報道しました。まさに、今のトイレットぺーパー騒動と同じです。私も昼休み(?)に日本興業銀行本店に3時間並び(フジマキ注:私は『会社に時間を売っているのではなく、会社が儲けるために働いている』ので、時間の使い方は本人次第でした。もしくはボスが東京にいなかったので、自由勝手に動いていたというのが本当かもしれません)、自己資金で興銀の利付債を買いました、しかし、モルガンの資金では(=仕事としては)買えなかったのです。個人の資金運用を考えれば、たとえ金利がもっと上がり9%、10%になっても、8%は十分な利回りで『もう少し高い利回りで買えたな』と少し残念に思うくらいです。しかし当時から時価会計を採用しているJPモルガンのカネだと、利回りが9%、10%と上昇していけば、債券価格は下落し大きな計上しなくてはならない。そうなると首です。8%がピークに近いと確信できなかったので、手が出なかったのです。このように会計の仕組み、動機などで、個人とプロの出動時期や思惑が違うことがあるのです。もっとも、私は部下に「自分の金で『買いたい』と思わないのなら会社の金でも手を出すな!」とはしょっちゅう言っていました。
(付録)フジマキな日々
1.月刊「婦人画報」連載開始
2月末発売の「婦人画報」での連債が始まりました。今、連載しているのは「The 21」(PHP研究所)と「婦人画報」。今までの「週刊朝日」とは読者層が異なっているようです。婦人画報は「美容院」には必ずと言っていいほど置いてありますので、その際には是非!ちなみに今回の連載のタイトルは「増大するインバウンドからわかること」。ちょっと場違いなトピックになってしまいましたが、これを書いた1か月半前にはコロナウイルス問題がここまで大きくなりインバウンドが急減するなどとは予想だに出来なかったものでーー。ちなみに写真がきれいな雑誌だから、記念になるような顔写真を撮ってくれるのかと思ったら、写真は無し。テニス仲間のヒラタさん曰く「品のある雑誌だから、フジマキさんの顔写真を載せるのには躊躇したんじゃないの?」
2.1か月早い春
我が家では例年だと3月に梅が満開になり、その後、白モクレンが咲く。思い起こすに3.11の時は、白モクレンが満開だった。誰も外に出て愛でる人がいないのに健気に咲いているのが印象的だった。今年は3月1日でもう満開だ。梅も咲き始めた思ったら一気に開花が進み2月17日には満開だった。鶯やムクドリが蜜を吸いに来る。
タラの芽を気が付いた時には花が咲いいた。楽しみにしていたのに、今年は食べられない。今年は暖冬だったせいかすべての開花がえらく早い。そしてもう夏ミカンやユズも一時に。
3.会食
2月18日、根津美術館理事長兼館長で元東武デパート社長の根津さん、菊地智美術館館長の菊地操さん、元政策投資銀行社長の柳さんと4人で会食@六本木イルブリオ。イルブリオは根津さんお気に入りのお店で、雑誌プレジデントに根津さんが紹介したこともある店。4人とも昭和25年生まれ。菊地操さんと私は雙葉幼稚園のクラスメート。根津さんと柳さんは武蔵中学・高校の同級生だ。根津さんと菊地さんは、ともに美術館館長どおしなので、昔、私が引き合わさせていただいた。菊池智美術館(ホテルオークラの隣)という美術館名の冠にもなった操さんのお母様、菊地智さんには、2016年に亡くなられた。資産運用のアドバイス(もちろん無料)をさせていただいたこともあり、大変かわいがっていただいた。菊地財閥を守られた大変な方だ。リーマンショックの時、皆が「100年に一度」と大騒ぎする中、「私はすでに100年に1度の危機をもう2度も経験したわよ。80歳なのに、よ」と世の騒ぎを冷静に観察され揶揄されていたのが印象的だ。日経新聞「私の履歴書」は、今、陶芸家の楽直入さん(15代 楽吉左衛問)が書かれているが、20日、21日の回に智さんの話が出ている。「数多のそしりを、主催者の菊地智さんと私は大いに喜び、祝杯を挙げた。『楽先生、私たちの勝ちよ』」「先生、お小言は,私たちの勲章よ。お小言ももらえない作品は何の意味も無いわ」。智さんの渾身の思いをこめた会場は、私の茶碗をさらに引き立てさせた」ご冥福をお祈りいたします。
4.沖縄旅行
綾子のゼミの先生であり青山学院大学学長をされた鵜沢先生が昨年亡くなられた。結婚式のとき「今日は新婦側のゲストで参加していますが、新郎は僕の大学の後輩で、本日は新郎新婦双方のゲストとして参加させたいただいた気分だ」とスピーチくださり、ゼミの同窓会には特別資格で参加させてくださった。その鵜沢先生が日本で一番最初に咲く沖縄の桜を見たいと普段からおっしゃっていたこともあり、先生のお嬢様(青木さん〕と綾子のゼミ仲間の中村君、玉井さんと沖縄旅行に遺影をもって出かけた。私はドライバー役としての参加だ。皆と合流する前、我々は久米島を1泊つけた。 沖縄では桜と、ススキが一緒に見え、かつ桜の横に、ジェラシーパークに出てきそうなシダが生えている。「今いつ?ここ、どこ?」の世界に陥りそうだった。
5.沖縄総司令、横澤彰夫さん
沖縄にはよく行くが、大体は島に行くので、自衛隊の沖縄基地の横を(レンタカーを借りるために)通ったのは始めてだ。親戚の横澤彰夫さんは藤巻家から横澤家に養子に入ったが、元空将で、沖縄総司令をしていた。今、74,75歳だから総司令のときは、まだ自衛隊に対する風当たりがかなり強かったと思う。苦労したと思う。
6.親戚の藤巻杏慈さん、私の出身中学に進学
親戚の藤巻杏慈ちゃんが私の出身中学(東京教育大学附属中学・現・筑波大学附属中学)に合格・進学することになった。大変うれしいことだ。それも桜陰にも受かっていたにもかかわらず附属を選んでくれた。杏慈ちゃんは劇団四季「ライオンキング」でヤングナラを演じたことがある。身内ながら、その歌唱力と、リズム感には驚愕する。
7.指揮者・小泉和裕さんの追っかけ
指揮者・小泉さんの追っかけ夫婦である我々は2月22日の小泉さん指揮の名古屋フィル@愛知県芸術劇場コンサートホール を聞きに行った。奥様のマミさんがマミさんの隣の席(=と言うことは、音の聞こえのいい最高のロケーション)を取ってくださる。演奏後は、楽屋へ。普段はファンの方が詰めかけるのだが、今晩は、エキストラーの、都響のオーボエ首席奏者の方がご挨拶に来ただけ。空港行のタクシーが来るまで小泉ご夫婦と歓談。
モーツアルト:交響曲第38番ニ長調 K.504 「プラハ」
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40
2曲の対比も素晴らしかったが、「英雄の生涯」の終了直前の間が最高に素晴らしかった。大人数の演奏(本日は102名だったそうだ)の迫力演奏の間の間だった。いつも思うが、小泉和弘さんは、正統派で、日本最高、世界で尊敬を受けている指揮者の一人だとつくづく思う。実は3月14日(土)に、今度は九州交響楽団で小泉さんが「英雄の生涯」を指揮@サントリーホールするはずだったが、コロナウイルス騒動で中止になってしまった。今日聞けて良かった。それにしても九響の東京公演、それもサントリーホールでの公演は初めてだったそうで、この中止は団員皆さんは、さぞがっかりしただろう。私どももがっかり、だ。
この日は 演奏間の前に名古屋市立美術館で「コートールド美術館展」を見てきた。コートールド美術館は、イギリスが世界に誇る印象派・ポスト印象派の殿堂。上野での開催では長蛇の列と聞いていく気もしなかったが、コロナウイルスのせいか。かなりすいていて、印象派の絵画を堪能できた。
8.生まれて初めて知多半島に
小泉さんのコンサートを聞きに名古屋に行くのなら、せっかくだから訪問したことのない知多半島に行こうということで、「海のしょうげつ」でゆっくりしてきた。空がきれいな宿だ。
9 わかりやすい男・藤巻健史
23日(日)の夜、国立病院機構 北海道医療センターの荒木先生が上京されたので近所で食事をした。最初22日(土)の夜を予定していたのだが、小泉和弘さんの名古屋フィル演奏会に行く予定があることに気がついた。そこで荒木先生に「すみません、22日には先約が入っていました。23日にリスケしていただけますか?」とメールを打ったら「23日で問題ありません。22日は名古屋フィルですか?」ン、ズバリ動きを読まれている。荒木先生にとっては、藤巻健史、わかりやすい男だった、ようだ。
10.久しぶりというか、あいわらずといおうかのボケ
①玄関に脱ぎ捨てられていたテニスシューズを見て、綾子が「え、これで今日テニスに行ったんじゃないでしょうね」と驚きの声をあべた。(添付写真の通り)マ~、昔、左右別々の黒靴(片方紐付き、片方紐なし)でNHKの国際放送に出てしまった私だからしょうがない(NHKだから年末にNG大賞のような番組が無くて良かったと思ったものだ)しかし、それにしても、私とテニスをした誰も気がつかないのもどうかと思う。皆、他人のことなど興味が無いのか?それとも歳とって注意力が散漫になったのか?(一番、散漫な自分を棚に上げて)
②3月18日出版の本の原稿明日が校了という3月1日、コロナ事件を踏まえて1節分1500字ほど書き換えてくれという要請が夕方5時に入った。明朝まででいいと編集者はおっしゃるが、これから校閲やらページのナンバリング変更などで時間がかかり大変だろうと1時間で差換文を書き送った。晩酌をして寝る前に、念のためメールを入れたら、校閲に回す前の編集者から「ここの部分がわかりにくいから修正加筆をしてくれ」との依頼。「晩酌を終えて酔ってはいますが、まだ頭は動いていますから、この加筆で大丈夫だと思います」と書いて送った。そして、翌日の今朝、メールを開けたら、「こんなに早くありがとうございました。でも添付の修正文が付いておりません」失礼しました。やはり酔っていたようだ。
11.コロナウイルスの影響
3月15日の講演会が中止になった。その他、先に述べた小泉さんの演奏会、林家木久扇師匠の誕生会が中止になってしまった。
12.マハナ、サチ、ワサビ
ゴールデンレトリバーのマハナ、サチ、しば犬のワサビがよく遊びに来てくれる。
13.藤巻たけしの1ケ月
2月5日(水)
7時半、車で自宅発。9:15発ANA62便で羽田発。 14:25那覇空港着。JTA211便で久米島へ飛ぶはずだったが那覇空港がえらく混んでいて、出発13:40の予定が離陸したのは14:20。14:40久米島空港着。レンタカーでアーリー林道をとおり、日本で最初に開花するサクラの鑑賞。ほとんど他の車が来ないので最高だった。
島の半分を走ったが、寂れた感じ。何も無い。しかしそれがいい。昔はJALが久米島を盛んに宣伝したが今は東京からの直行便は無くなったそうだ。15:00ホテル・サイプロス宿泊。若い女性のグループ客が多い。家内が聞いたら仙台から、近くでキャンプを張っているプロ野球球団・楽天を見に来ているとのことだった。
2月6日(木)
8:00 朝食。朝食後、ホテルの庭とビーチを散策。寒くなく風が気持ちよい。マッタり。ホテルの庭には(通称)タコの木が綺麗に植えられており奄美大島在住の画家・田中一村(デザイナーの佐藤さん夫婦のお勧め画家で奄美大島の絵画館に一緒に見に出かけたことがある)が好んで書いた実がなっていた。
近くで護岸工事をしていると思ったら、それが空港だった。9:00 ホテル出発。9:20-9:40 楽天のキャンプをほんのちょっとだけ見学。島を挙げて楽天歓迎ムード。
10:00-10:30 魚の競りを見学(綾子が長老と思しき人に見学の許可を取った)。
普段はマグロのせりがあるが、200kgのカジキが上がったそうで、本日はカジキの固まりが中心。200キロはすごかったよと長老。
11:30発 RAC 876便で那覇空港へ。
12:30 レンタカーを借りて瀬長島の海風テラスへ。
マグロ丼を飛行機の発着陸を見ながら食べる。自衛隊機は、続けざまに飛び行っていった。海風テラス瀬長島は、なかなかセンスのいい一帯。飛行機好きの人なら、こたえられないだろう。
ここも中国人を中心とする外国人が多かった。14:30 東京からやってきた綾子のゼミ仲間の中村君、鵜沢先生のお嬢様の青木さん、玉井さんを那覇空港でピックアップ。世界遺産の今帰仁城跡で「日本で最初に咲く桜」を見学。城跡の城壁は四国・本州のごつごつした形ではなく、カーブを描いており西洋の城の感じ。
17時00分よりライトアップ。18時30分 ハイアット瀬良垣着。19時40分 ハイアット瀬良垣セラーレにて夕食(20時)&宿泊
2月7日(金)
ハイアット瀬良垣 10時00分発。11:00-12:00 名護城公園 でサクラ見学。サクラとシダとススキが共存している。12:30-14:00 美ら海水族館 コロナのせいだと思うが、すいていて、ゆっくり鑑賞できた。8割くらいは中国人等外国人か。
15:00-16:30 ホテル・ハレクラニにてアフターヌーンティー。19:10 那覇空港発ANA476便(15分遅れで19:25発)で羽田へ。綾子たちはもう1泊したが私は明日の講演会のため帰京。21:25 羽田着。
2月8日(土)
午前中テニス。16:00-17:10 「マネフェスタ2020 winter」@大手町サンケイプラザで講演&サイン会。決して大きな会場ではなかったが、立ち見が出て聴衆は会場からはみ出して熱心い聞いてくださった。ありがとうございます。
17:40分医飛び出し、羽田で綾子たちのお出迎え。
2月10日(日)
12:00―1:30 大手町で経済界のリーダー30人ほどに講演。大手町から直接PHP研究所へ。早く着きすぎたので、部屋を借りて仕事。3:00-4:00PHP研究所でインタビュー。PHPの連載は、私がしゃべる内容をライターさんが書き起こして、後で私がチェックのスタイル。一般的な形だと思うが、私としては、初めての方式。私は、通常、自分自身が最初から書かないと気が済まないが、今,あまりに忙しく時間が無いので、この方式を取らせていただいている。
2月11日(火・祭)
午前中・テニス。2月8日、9日、11日の飛び石3連休は、午前中、毎日テニスを3試合づつ9試合やったが、どういう風の吹き回しか負けなし。6勝3分けの珍事。
2月12日(水)
18:00から雙葉幼稚園のミニクラス会。男の子は手前から新吉(元住友商事勤務)、準ちゃん(元三菱商事副社長)、健史ちゃん(フジマキ・ジャパン)と4人ずつ2クラス8人のうちの3人。
2月13日(木)
10:00-11:10 クローズドの会での講演会。最初は260人の聴衆と聞いていたが、大阪での講演が評判(650人のはずが800人参加)だったのでで、参加者が400人に増えたとのこと。
2月15日(土)
午前中テニス。1章2敗。
2月17日(月)
11:30-13:00 某社専務と会食。
15:00 大学のゼミの後輩で前四国公認会計士協会会長の千晶さんが仕事で我が家に来てくれたので休憩時間に庭でお茶。
ちょうど千晶さんとお茶をしているときに親戚同様の付き合いをしている石村家の長女、よりちゃんが長男のケンケンを連れて遊びに来てくれた。
2月18日(火)
法人2社目の決算がやっと終わり、税理士/公認会計士の先生に資料送付。根津さん、菊池さん、柳さんと会食@六本木イルブリオ
2月19日(水)夕方~2月20日(木)深夜
3月18日出版の本の最終ゲラが届いたので2日間にわたって、睡眠時間を大幅に削って赤入れ。会社の決算の締め切りが迫っているが、本の方も待ったなしなので、本日はこちらに集中。
2月21日(金)
9:52分新横浜発ひかりで名古屋へ。レンタカーを借りて知多半島へ。インターでラーメン。お花牧場(菜の花が綺麗だった)、魚市場を見る。
15:00、ホテル「海のしょうげつ」に入る。
2月22日(土)
11:00 宿出発。名古屋市立美術館で「コートールド美術館展」鑑賞。
16:00-17:30 小泉和弘さん指揮の名フィル演奏会@愛知県芸術劇場コンサートホール
2月23日(日)
朝、名古屋駅上のマリオットのプールで泳いでから、新幹線ひかりで帰京。65歳以上割引切符では「のぞみ」に乗れないので。19:00から近所の小料理屋さんで国立病院機構 北海道医療センターの荒木先生と食事。
2月24日(月)
雑務がやっと終わったので、個人の確定申告開始。18:00~20:00 東京教育大学附属(現・筑波大学附属)のミニクラス会@新宿。世間がコロナを、かなり気にし始めた頃で、宴会中止が増えているときだったがかまわず実施。小林君(中・高時代の親友。高校でテニスのパートナー)がいつも幹事をしてくれる。、感謝!
2月27日(木)
法人1社目の決算書類が出来たとのことで会計士‣税理士の所に取りに行き説明を聞く。
2月28日(金)
納税のために銀行に行ったが、あまりの長蛇の列で嫌になる。